瀉血療法とは?
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瀉血療法とは何?
血液を抜き取る瀉血は人類最古治療法のひとつです。
西欧では古来から、病気は体液の調和が崩れるために起こるので、体液の不調和が発生すると血液が腐敗すると考えられ、その為に体内で腐敗した血液を抜き取る必要があると言う理論から、盛んに行われました。
瀉血療法いつ頃から行われていたの?
紀元前5000年頃の古代メソポタミアでは、「動脈血は明るく昼間の血」、「静脈血は暗い夜の血」とされ、その暗い夜の血が病気を起こすために血液を取り除くために瀉血が行われていました。
紀元前400年頃のアテネの遺跡からは外科の器具と瀉血に使用する器具が並んで彫刻されたレリーフが発見されています。
瀉血療法はどのようにして行われたの?
瀉血の方法は、血管を直接傷つけて血液を抜く「刺絡法」と、ヒルを皮膚に貼り付けて、血液を吸い出させる「吸角法」がありました。
瀉血治療法は誰が行っていたの?
古代ギリシアの医師で、「医学の父」、「医聖」と呼ばれているヒポクラテス(紀元前460?〜377)。
古代ローマの名医ガレーノス(130〜201?)。
中世アラビアの名医ラーゼス(850?〜923?)。
フランスの名医で聴診器の発明者であるラエンネック(1781〜1826)。
オランダの名医で「オランダのヒポクラテス」と称されるブルッセ(1772〜1836)。
古代から中世までの名医と称される医師によって盛んに行われていました。
瀉血療法が行われていた時期は?
1100年頃から1490年頃までは、公衆浴場で入浴と同時に瀉血が行われていました。
しかし、16世紀の初めに伝染病の感染が取りざたされて、公衆浴場が廃止され、入浴と同時の瀉血は行われなくなりました。
瀉血療法カレンダーもありました
15世紀中期にドイツ人のグーテンベルグ(1400?〜1468?)によって活版印刷術が発明されると、「瀉血カレンダー」が印刷されて、これに基づいて保健衛生の為と称して定期的に瀉血が行われるようになりました。
西欧では瀉血療法は19世紀中期まであらゆる治療に行われ、特に1826〜1836年にかけてヨーロッパで大流行したコレラの治療はもっぱら瀉血が行われました。
瀉血によって流された血液は当時の戦争によって流された血液よりも多いと言われています。
中世ヨーロッパの教会でも瀉血療法は行われていたの?
当時は、「精液」が滞留すると血液の腐敗が起こると考えられ、これを予防するために瀉血が行われていました。
その為、修道僧は1年に数回瀉血を行い、『刺絡休日 』が制定されていました。
更に瀉血で衰弱した物には強壮飲料が与えられていました。
中世ヨーロッパの一般人も瀉血をしていたの?
当時の一般人も、「吸角瀉血」や「静脈瀉血」による健康法がありました。
瀉血を実施する月は占星術により、9、10、12月が最も良い月、2、4、5、11月がこれにつぎ、1、3、6、7、8月はしてはならない月とされていました。
瀉血療法で命を落とした人々は?
フランスの劇作家で俳優のモーリエール(1622〜1673)も肺結核の治療の為に1日に4回も瀉血を受けて死亡しています。
米国初代大統領のジョージ・ワシントン(1723〜1799)は、激しい喉の痛みと呼吸困難に陥り、その治療に瀉血が3回行われ、3回目の瀉血では1リットルもの血液が抜かれました。
彼は、発病から48時間で死亡しています。
彼の死亡の原因は瀉血によるとされています。
このように無意味な瀉血で非常に多くの人の生命が奪われました。
瀉血療法を批判して反対した人はいなかったの?
瀉血療法一辺倒の時代にあってもこれを批判して反対する人もいました。
中でも代表的な人物は、「生化学の建設者」と称されるヘルモント(1577〜1644)は、『医学は血塗られた犠牲によって彩られてきた』と瀉血療法を痛烈に批判しました。
フランスの医師P.C.A.ルイ(1787‐1872)は、1835年、『瀉血の効果に関する研究』を著し、医学的に初めて統計学を導入して瀉血が無意味な治療法であることを実証しました。
また、フランスの内科医アンドラル(1797‐1876)は、瀉血療法の激しい反対者であったたことが知られています。
瀉血療法は日本でも行われていたの?
「日本書紀」に允恭天皇(5世紀中葉:第19代天皇)の病気治療に瀉血を行い、治療効果があったとの記録があります。
平安時代から江戸時代にかけて民間療法として病気治療に瀉血が行われて今したが、西欧で行われていたような無差別な瀉血療法とではありません。
瀉血療法で命を落とした人々は?
フランスの劇作家で俳優のモーリエール(1622〜1673)も肺結核の治療の為に1日に4回も瀉血を受けて死亡しています。
米国初代大統領のジョージ・ワシントン(1723〜1799)は、激しい喉の痛みと呼吸困難に陥り、その治療に瀉血が3回行われ、3回目の瀉血では1リットルもの血液が抜かれました。
彼は、発病から48時間で死亡していることから、 彼の死亡の原因は瀉血によるとされています。
瀉血療法を批判して反対した人はいなかったの?
瀉血療法一辺倒の時代にあってもこれを批判して反対する人もいました。
中でも代表的な人物は、「生化学の建設者」と称されるヘルモント(1577〜1644)は、『医学は血塗られた犠牲によって彩られてきた』と瀉血療法を痛烈に批判しました。
フランスの医師P.C.A.ルイ(1787‐1872)は、1835年、『瀉血の効果に関する研究』を著し、医学的に初めて統計学を導入して瀉血が無意味な治療法であることを実証しました。
また、フランスの内科医アンドラル(1797‐1876)は、瀉血療法の激しい反対者であったたことが知られています。
現代医学でも瀉血療法は行われているのか?
現代医学においても、多血症(赤血球が異常に増える病気)の治療に瀉血療法が行われています。
written by 血液の鉄人
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